創業前史 昭和21年~
終戦間もなく、文人保田與重郎、そして10代の頃よりその文学に傾倒していた奥西保と高鳥賢司の三人が運命的出会いを果たす。この若い師弟らは、日本の真の復興のために10年を国事に奔走したが、その志はやがて、教育による国づくりという夢に向かう。
昭和21年
- 6月
- 戦前に日本浪曼派の文学運動を先導した文人保田與重郎は、出征先の中国大陸より復員。
- 11月
- 保田與重郎と、10代の頃から保田與重郎の文学思想を熱烈に信望していた奥西保(後に初代社長)と高鳥賢司(後に第2代社長)の三人が初めて出会う。保田は36歳、奥西は27歳、高鳥は21歳だった。
その後、保田の周囲に集う有志の青年たちが彌年会(みとしかい)を結成、奥西保・高鳥賢司はその中心となって、保田から延喜式祝詞の講義を受け、あるいは歌合の会を各所で催すなど壮んに活動しながら、師弟の絆を深め、やがて10年の後の新学社創業へとつながっていく。
昭和24年
- 1月
- 奥西保・高鳥賢司、中学教材を出版する吉野書房設立に参画、初めて図書教材業界に入る。
- 9月
-
師の保田與重郎に大いに文筆を振るってもらうことを意図し、吉野書房より同人誌「祖國」を創刊。
昭和30年
- 6月
- 奥西保・高鳥賢司、「祖國」を発展させる形で、紊乱した国論を正すべく、保田與重郎を中心にした総合言論誌「新論」を創刊するも、翌年1月には瓦解。新たな教材出版社設立の準備に入る。
草創 昭和32年~
子どもたちの学力向上のために教育現場の支援を――。
奥西保・高鳥賢司は新たな志を抱き、師の保田與重郎とともに教育図書出版社「新学社」を旗上げた。彼らの志に共鳴した多くの人たちの有形無形の協力と恩恵を受け、懸命な歩みをはじめる。
昭和32年
- 3月
-
3月22日、京都市に、中学校用図書教材の学校直販出版社である株式会社新学社設立。奥西保が代表取締役社長、高鳥賢司が専務取締役、保田與重郎が取締役会長にそれぞれ就任。資金も殆どない、無からの出立だったが、奥西保・高鳥賢司、そして保田與重郎の人柄と志に共感した人々が、新学社に大いなる期待を寄せて協力支援を惜しまなかった。
昭和33年
- 3月
-
高校進学用総まとめ教材「新研究」5教科発刊、のちに、ドリル・ワーク・テストを付随するシステム教材として発展し、新学社の看板教材として今日まで高い支持を得る。
昭和34年
- 1月
- 東京支社設立。
昭和36年
- 3月
-
学年別の月刊学習誌「計画学習」発刊。「勉強の仕方がわかる月刊参考書」として全国の中学生に文字通り浸透し、ここに経営的基盤が確立。
昭和38年
- 3月
-
保田與重郎の文学の師である詩人佐藤春夫が監修した名著「規範国語読本」発刊。
昭和39年
- 4月
- 佐藤春夫、新学社総裁に就任。
同月、あらゆる教育問題の研究と解明のために日本教材文化研究所設立(初代所長は佐藤春夫)。後に日本教材文化研究財団となる。
- 10月
- 全国の特約店有志とともに株式会社学校教材開発研究所設立。不偏不党の教育言論を樹立すべく「教育日本新聞」を発行。
成長 昭和40年~
京都山科に本拠地を構えた新学社は、高度成長期の日本の勢いそのままに、次々と教材を世に送り出し事業を拡大、業界屈指の教材出版社へと成長する。
昭和40年
- 10月
-
本社を京都市の山科に移転。
同月、保田與重郎の主導により、木曽義仲と松尾芭蕉の本墓がある大津市の義仲寺の再建成る(義仲寺昭和再建)。以来、今日まで社業としてその護持に携わる。
昭和41年
- 7月
- 現徳島物流部の前身である毎日運輸株式会社(後に大日本発送株式会社に名称変更)が設立、小学校用図書教材の発送を開始。
この頃、主力教材である「中学セミナー」発刊。
昭和43年
- 4月
- 中学生に良書・名作を教材として提供することを目的に「新学社文庫」シリーズを発刊。
昭和44年
- 2月
- 当時、徳島・東京に主拠点を置き、全国シェアを誇った「毎日の勉強」「月刊プリント」を発刊していた小学直販メーカー株式会社教友館と合併、商号を株式会社新学社教友館とする。ここに、小学校教材出版を事業分野に加えた。
- 6月
- 佐賀市の株式会社教材社と業務提携。小学校で使用する教具教材にも事業を拡げる端緒となる。
昭和45年
- 7月
-
文部省所管財団法人の日本教材文化研究財団設立。初代理事長に元京都大学総長で脳の運動神経研究の世界的泰斗の平澤興が就任。
昭和46年
- 2月
- 京都市山科に新学社発送株式会社を設立し、中学校用図書教材の発送を開始。
- 5月
- 京都嵯峨野にある芭蕉門の向井去来の草庵落柿舎を護持することを決議。義仲寺とともに今日まで社業として落柿舎護持を継承。
昭和47年
- 2月
- 新学社と大日本印刷・米タイム社との合弁会社、株式会社新学社タイム・インターナショナルを設立。
- 5月
- 「漢字・計算ドリル」発刊。
- 11月
- 新学社・大日本印刷共同出資で株式会社ダイレックを設立。
躍進 昭和48年~
家庭教育の確立をめざして新たに家庭学習教材「月刊ポピー」を創刊、たちまちに全国を席巻するが、ここに学校教育事業と家庭教育事業の両輪を得て、総合教育出版社として躍進を遂げる。
昭和48年
- 1月
- 初の家庭学習教材「月刊小学ポピー」発刊。
同月、平澤興、新学社第2代総裁に就任。
- 4月
- 「月刊中学ポピー」発刊。
- 7月
-
家庭教育の確立を目的に全日本家庭教育研究会設立。この通称全家研運動は全国に支部組織を築き、「月刊ポピー」とともにたちまち全国に普及していく。
昭和50年
- 10月
- 株式会社教材社を合併、九州支社とする。
昭和51年
- 4月
- 幼児用「よいこのポピー」発刊。幼児・小学生・中学生一貫の「ポピー」家庭学習システムへの展望がひらける。
- 11月
-
創立20周年記念事業として、義仲寺境内に木曽八幡社を新造、無名庵・粟津文庫を建てかえ、史料観と手洗所を新築。ここに義仲寺昭和再建の第2期事業成る。
昭和53年
- 4月
- 月刊ポピー教材に付録される「こころの文庫」シリーズ発刊。保田與重郎の文学仲間だった中谷孝雄、淺野晃、林富士馬等が編集委員として参加、国民的教養の必読書と注目を集める。
- 10月
-
商号を株式会社「新学社」とあらためる。
昭和54年
- 4月
- 「基礎の学習」発刊。
昭和55年
- 4月
- 小学校「テスト」発刊、小学校テスト市場への本格参入を図る。
- 5月
-
平澤興、全日本家庭教育研究会の初代総裁に就任。
展開 昭和56年~
1980年代、大量消費社会・高度情報化社会へと大きく変貌する時代が到来、新学社も時代に対応するために体質改善を図るとともに、教育情報のより大規模でより効率的な提供をめざし、ニューメディア教材の開発に取り組むなど、大きく事業展開を図る。
昭和56年
- 10月
- 10月4日、創業の象徴的存在だった保田與重郎逝去(享年71歳)。
同月、奥西保が会長に就任、高鳥賢司が社長に就任。
同月、「平澤興博士論文集」発刊。
昭和57年
- 7月
- 電算写植への移行に対応し、組版データの再利用化を目的として京都CTSセンター設立。
昭和58年
- 「活性化・平準化・技術化」をスローガンに、自社の体質改善を図るための全社運動「TQC活動」がキックオフ。
昭和60年
- 11月
- 「保田與重郎全集」(全40巻・別巻5巻)を企画・編集・製作、講談社より刊行開始。
昭和61年
- 1月
- 子育て誌「お母さんポピー」発刊。
- 4月
- 京都本社の新館完成。
- 9月
- コンピュータを活用した教育事業の推進をめざし、電子出版事業本部を設置。
同月、教育現場の電子化にハード面でサポートすることを目的に、パソコン事業展開のため日本IBMと業務提携。
- 10月
-
教育ソフト販売を目的に米国MECC社と業務提携。
昭和62年
- 4月
- 裁縫箱にキャラクター「ポチ・タマ」を導入。
- 5月
- 日本IBM製パソコン「JX5」販売開始。
- 12月
-
滋賀県草津市に新学社草津物流センター設立(延べ28,481㎡)。
昭和63年
- 4月
- 「少年少女こころの図書館」シリーズ発刊。
- 9月
- 「少年少女こころの伝記」シリーズ発刊。
- 11月
- 日本IBM製パソコン「5530Z」販売開始。
挑戦 平成元年~
バブル崩壊から平成不況の長く厳しい時代、新学社もまた苦闘の日々がつづくが、それでも教育による国づくりという志と情熱を失わず、テスト業界や塾業界への進出や海外提携など、進取果敢な挑戦をつづける。
平成元年
- 4月
- 小学校ドリルにキャラクター「ポチ・タマ」を導入。
同月、「総合実力テスト」発刊。初の評価教材であり、テスト業界への第一歩となる。
- 6月
- 6月17日、長年家庭教育確立運動に尽力した平澤興薨去(享年89歳)。
- 7月
-
元京都大学教授の鰺坂二夫、全日本家庭教育研究会の第2代総裁に就任。
平成3年
- 6月
- 塾教材開発部を設置、塾教材という未踏の分野への挑戦をスタートする。後に㈱好学出版へとつながる。
平成6年
- 9月
- 東京支社、多摩市唐木田の新社屋に移転。
平成7年
- 10月
- 岩﨑幹雄が社長に就任。
平成8年
- 10月
- 米国ナショナル・ジオグラフィック協会と業務提携。また同時期、ディズニーとも提携しディズニー絵本を発刊。
- 12月
- 新学社100%出資の塾教材出版社である株式会社好学出版設立。
平成9年
- 5月
- 創立40周年記念事業の一環として、「中谷孝雄全集」(全3巻)を発刊。
平成10年
- 10月
- 好学出版、塾教材「中学標準問題集ウイニング」を発刊。この看板教材をもって一躍塾業界に知られる存在となる。
- 12月
- 子ども向け雑誌「ナショナル・ジオグラフィック・ワールド」の日本版(通称「ジオワールド」)を創刊。
平成11年
- 3月
- 「保田與重郎文庫」(全32巻)刊行開始。
- 9月
- 草津物流センターを増築。
平成13年
- 3月
- お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古、全日本家庭教育研究会の第3第総裁に就任。
- 8月
- 8月10日、高鳥賢司逝去(享年76歳)。
- 9月
- 9月2日、奥西保逝去(享年81歳)。
9月19日、両創業者(奥西保・高鳥賢司)社葬を京都都ホテルで執行。
平成15年
- 10月
- 小林忠照が社長に就任。
平成16年
- 6月
- 株式会社「ポピー」設立。
平成17年
- 6月
- 直木賞作家の伊藤桂一、全日本家庭教育研究会の第4代総裁に就任。
- 10月
- シニア向けの人生教養誌「今日から悠々」創刊。
平成18年
- 10月
- 中井武文が社長に就任。
平成19年
- 5月
- 5月18日 創立50周年記念式典を挙行
同月、東京支社が新宿区払方町の社屋に移転。
- 12月
- 創立50周年記念事業の一環として、新学社初の社史となる『新学社50年史』を編纂。
平成20年
- 8月
- 株式会社ポピーと合併。
- 11月
- 筑波大学名誉教授の村上和雄、全日本家庭教育研究会の第5代総裁に就任。
平成21年
- 10月
- 中川栄次が社長に就任。
平成22年
- 2月
- 新しい経営理念・経営ビジョンを策定。
- 5月
- 保田與重郎生誕100年記念事業として、映像作品『自然(かんながら)に生きる』を製作。
東京・ヤクルトホールにて生誕100年記念シンポジウムを開催。
- 11月
- 奈良県桜井市立図書館にて生誕100年記念イベントを開催。
平成26年
- 3月
- テスト採点事業専用の社屋として、「京都アセスメントサポートセンター」竣工。
平成28年
- 8月
- テスト採点事業の第2の拠点として東京都八王子市南大沢に「東京アセスメントサポートセンター」事務所を開設。
- 9月
- 創立60周年記念事業として、新学社の創業精神や志を伝える先人先達の文章を集成し『新学社志』を上梓。
令和3年
- 8月
- 徳島の第2の物流拠点として、北島物流センターを設立。
- 10月
- 山本伸夫が社長に就任。