新学社を創った
先生方
Masters

創業以来、日本の教育に思いをいたされた稀代の先生方によるお力添えで、
新学社の風土が創られました。
新学社は先生方の作品——。
遺されたこの作品を、私たちは大切に守り、伝えていきます。

保田與重郎先生
(明治43年~昭和56年)

 ~新学社に創業精神を授けた昭和の文人

 本居宣長の再来とも称され、並外れた古典の造詣と理解の上から、我が国本来の美と歴史をさまざまな文章で述べひらき、また日本及び日本人のあるべき姿について本質的な批評を展開した、昭和の文芸評論家・保田與重郎。「最後の文人」と称すべきこの伝説的な文学者が、戦後に教育出版社を興し、終生その事業を支え続けたということは、あまり知られていません。

 当社は、日本の将来を憂い、そのためには国家百年の計として教育の充実こそ肝要と考えた文人保田與重郎先生とその門人の奥西保(初代社長)・高鳥賢司(第2代社長)が中心となり、昭和33年に創業しました。以来、保田先生は、自分にできることは何でも、というお気持ちで陰に陽に当社を支援し鼓舞しつづけ、特に理念や事業哲学、社風といった最も大切な精神面において、保田先生の教えと薫陶のほどははかり知れません。

 新学社とはすなはち保田與重郎である——。このように言って過言ではないでしょう。

佐藤春夫先生
(明治25年~昭和39年)

 ~新学社の初代総裁をつとめた日本近代随一の詩人

 まるで詩神のような高い浪漫精神で、詩・小説・メルヘン・戯曲・評論・随筆・翻訳・短歌・俳句など多彩な作品を生みだした、日本近代を代表する詩人、佐藤春夫。

 保田與重郎先生は終生佐藤春夫先生に師事されましたが、そのご縁により、当社の初代総裁にご就任くださいました。すぐに帰幽されましたので就任期間はごくわずかながら、大詩人を総裁に戴いたというその事実が、当時発足して間もない小さな出版社の社員に与えた歓びと自信、そして販売代理店や学校の先生方に与えた信用は絶大でした。

平澤興先生
(明治33年~平成元年)

 ~日本中の母親たちの心に灯をともした世界的医学者

 第16代京都大学総長であり、日本学士院賞や勲一等瑞宝章を受章した脳神経研究の世界的泰斗、平澤興。

 平澤興先生は昭和45年より20年近く、毎週本社で全社員に講話をされるなど、当社を愛し、社員を慈しみ、常にこころしておく社風として「薫風自ずから生ず」という言葉をくださいました。

 また、長い研究に裏打ちされた教育についての深い洞察と示唆から、子どもの無限の可能性、母という存在の尊さ、そして家庭教育の重要性を謳う家庭教育確立運動を発起、自ら先頭に立って、国中の母親たちを鼓舞し、激励しつづけられました。当社の家庭学習教材「月刊ポピー」の普及と相まって運動はまたたく間に全国を席巻しましたが、平澤先生は当社に対し、「学校教育」に加えて、新たに「家庭教育」への使命を与えられたと言えます。

河井寛次郎先生
(明治23年~昭和41年)

 ~「新学社」という社名に命を吹き込んだ天賦の名工

 柳宗悦・浜田庄司らとともに民芸運動の創始者として知られ、自らも一陶工として唯一無二の作品を次々と創造した河井寛次郎。いわば、民藝の土壌の上に新しい「民族の造形」の花を開かせたこの美の求道者を、「陶磁の歴史を通じてただ一人の人」「國始まってこの方の陶工」など、幾度も賛辞を捧げられたのは、保田與重郎先生でした。

 保田先生との所縁により、河井先生は「新学社」という表札を揮毫してくださいました。その陶芸や木彫の作品と同じく、丈高く、品高いその雄渾高潔の書は、当社の理想をよく外に示し、内には社員に誇りと気概を与えています。

 なお、創業以来今日まで、当社では社員の誕生会を毎月催すのが伝統ですが、河井先生の弟子のによる民藝の陶器を記念品として授与しています。

棟方志功先生
(明治36年~昭和50年)

 ~新学社を応援しつづけた「世界のムナカタ」

 版画をはじめ、やまと絵、油絵、書など、その幅広い芸業すべてにおいて、自由奔放で太々しいような生命感をもつ独特の作品を無尽蔵に生み出した、棟方志功。棟方先生は、保田與重郎先生と若き日より昵懇であった関係で、若い門弟らが始めた教育事業を親身になって応援しつづけ、常に濃やかに手を差しのべられました。

 社章のデザイン、あるいは教材の装丁やカットなども無償で手掛けてくださり、会社にもたびたびお越しになりました。また、学校現場にもその天造の美をお贈りしたいという願いから、新学社は毎年オリジナルの「棟方カレンダー」を発行し全国の小中学校に配付していますが、先生方や子どもたちから大変喜ばれています。